手続き 1) Birth Certificate
リンの夫です。
出産した後は、子供に関する手続きが色々あります。アメリカ関係では Birth Certificate (出生証明)、パスポート、ソーシャルセキュリティーナンバー取得。日本関係では出生届の提出、日本に帰国するための渡航書、パスポート、児童手当の申請など。
生まれてから最初にやるのは Birth Certificate の申請。カピオラニ病院で入院中に渡される書類に子供の名前や親の情報などを記入し、病院内の Medical Record Dept. に提出。あらかじめ小児科のサエグサ先生から書類の写しを一部頂き内容を確認していたので迷うことなく、スペルを間違われないよう丁寧に記入。これは退院前に提出しなければならないので子供の名前は予め決めておく方がいいですね。
この書類の中にソーシャルセキュリティーナンバー申請のフォームもあり、それを書けば病院が申請しておいてくれるのですが、発行まで2-3ヶ月かかると書かれており(実質的にはひと月ほどで来ると思うのですが)残り滞在期間が6週間ほどであること、日本に帰ってからアメリカ大使館でも手続き可能なことからそちらは提出しませんでした。
提出の際にいつ頃取得可能か確認、3日後にはOKとのことだったので、退院の3日後に DOH (Department of Health) に取りに行くことに。必要なものは下記。
・申請フォーム(予めオンラインで記入し印刷しておくとよい)
・申請者のID(パスポートでOK)
・現金(1通目は12.5ドル、2通目からは1通ごとに4ドル)
DOH Vital Records Issuance Section の営業時間は平日7:45-14:30。場所はワイキキから見てアラモアナの向こう、レンタサイクルを借りて行ったのですがおよそ30分ほどで到着。入ると窓口は2つしか開いてないのに20人ほどがひしめき合っており時間かかりそうな予感…。番号札の存在に気付かず3人ほどの列に並んでみる。順番が来てフォームを提出し、10分ほどであっさり Birth Certificate をゲット。これが今後の諸々の手続きの基本となるのでとりあえず5通取りました。
そこにキオスク端末もあったので、おそらくその場で申請フォームに記入することも出来るのですが、それをすると記入後に番号札を取って順番待ちをすることになると思われるので、申請フォームは予め準備しておくのがおすすめです。
出産レポート 3)
リンです (⌒▽⌒)
3回に分けて書いている出産レポートも今回が最終回、ついに生まれます。
6/4 AM 7:00
看護婦さんが様子を見に来た時に異変があったようで、ベルが押されて部屋に看護婦さんが10人ほど現れ、酸素マスクもつけられ、なんだか騒がしい様子。どうやら赤ちゃんの心拍数がなくなり、子宮口が10センチで全開になってすぐにでも産まれそうな雰囲気。いつの間にか担当のヤザワ先生が来てくれていた。どうやら、赤ちゃんの頭が急に下がってきたせいで心拍数が一瞬なくなったが、もう戻ったようです。破水もその時した(自然に破水したのか、破水させたのかは不明)。出産の準備は全て整ったが、一旦休憩して1時間後からいきみ始めましょうと言われる。
AM 7:30
夫がお母さんと夫の朝食を買ってきて、LDRルームで食べる。私は麻酔されているので、食べてはいけません。
AM 8:10
そろそろいきむということで担当看護婦さんが来てくれた。夫がカメラを三脚に設置。いよいよですね。自分でも分娩の様子が見えるように鏡を足元に設置してもらいました。「両膝を立てて、子宮の収縮に合わせていきむ(無痛分娩なので痛みは感じないですが、子宮の収縮は感じます)。1回の深呼吸で3回いきむ。いきむ時は、スクワットをするような力でPUSH」と言われ、とりあえず1回いきんでみました。「普段使わない筋肉を使うので初産の人は2時間、100回くらいいきむつもりで頑張りましょう」ということで、全力でいきむこと1回、赤ちゃんの頭が見えてきました。「ちょっと待って、あなたのいきみが上手すぎて、このままだと先生が来る前に赤ちゃんが生まれちゃうよ。とりあえず、半分の力でいきもう」と言われる(笑)。私自身としては頭のてっぺんしか見えていないから、今までYoutubeで見ていた出産シーンの動画からするとまだまだ時間かかるのではないかと思っていましたが、看護婦さんの言うとおり、子宮の収縮に合わせて、半分の力でいきむ20分。旦那曰く、いきむたびに赤ちゃんの頭が見え、すぐにでも生まれそうな感じでひやひやだったそう(笑)。
AM 8:35
ようやくヤザワ先生が来てくれた。足置き台がベッドの下から出てきて、足をそこに置いてくれた。先生の前にもテーブルらしきものが置かれ。そして、生まれてすぐにカンガールケア(直接肌と肌を合わせて赤ちゃんを縦抱きにし、上から掛け物をすること)できる様もう一人の看護婦さんが来てくれた。「これで全力でいきんで良いですよ」と言われた。深呼吸して3回いきみ、もう1回深呼吸して3回いきみ、そのままもう1回いきんでみる?と聞かれ、YESと答えて全力でもう1回いきんだことでなんと赤ちゃんが「うーぎゃー」と泣きながら生まれてくれた。
AM 8:43
先生がすぐに胸のところに赤ちゃんを置いてくれた。赤ちゃんがとても小さくて、暖かかったです。とてもかわいいと思いました。思わず、私も夫もお母さんも泣いてしまいました。カンガルーケア中に胎盤が出てきたようです。そして軽度の会陰裂傷があったようで、先生が縫ってくれました。私は赤ちゃんとの触れ合いに集中しすぎて、麻酔のこともあり、気づくことすらありませんでした。
AM 9:00
小児科の看護婦さんらしき人が3人来て、赤ちゃんの健康状態や体重、身長等を確認してくれた。
AM 10:30
LDRルームで1時間半くらい休憩してから、4階のMother Baby Care Centerに移動、そこから赤ちゃんと二泊三日の入院生活が始まります。
以上、私の出産レポートでした。おしるし→前駆陣痛→本陣痛→子宮口10センチ開く→破水→出産、という非常に標準的なコースでした。無痛分娩だったので陣痛を経験したのは3時間だけでしたが、それでも人生を疑うほどの痛みでした。今は全てのお母さんに感謝、尊敬の気持ちでいっぱいです。
出産レポート 2)
リンです (⌒▽⌒)
3回に分けて書いている出産レポート、今回はその第2回です。
6月3日 PM 9:30
お散歩から帰宅。陣痛が来るたびにうんちが出そうな感じがあり、これは単に肛門が圧迫されているからでは?と思っていましたが、トイレに行くと意外と出て、2回うんちしました。
PM 10:30
シャワーを浴びてひとまず就寝。陣痛がどんどん強くなってきましたが、間隔はまだ不規則。これは夜が長いですね…
PM 11:30
痛みがだんだん我慢できないほど強くなってきました。陣痛がくると声をあげ、少しでも痛みを和らげようと四つん這いの姿勢(いわゆる逆子のポーズ)で耐える。
PM 11:50
それまで不規則だった陣痛の間隔が急に3分間隔で一定になり、病院へ向かうと判断。陣痛の合間に支度し、Uberを呼び、病院へ。車内でも何回か陣痛が来ていたが、声が出ないよう必死に耐える。
6/4 AM 0:10
カピオラニ病院に到着(アメリカの病院の入院期間は2泊3日、日付が変わってから病院に到着したので退院は6/6になりラッキー、と思いながら陣痛に耐える)。深夜なので、Emergecy(緊急)の入口から入り、窓口で自分の情報を伝え、看護婦さんが車椅子を持ってきてくれたので、車椅子に乗り、3階のBirth Centerへ移動。
AM 0:20
IDを提出し、陣痛チェックの部屋へ移動。本陣痛かどうかのチェックをし、本陣痛の場合のみLDR(Labor、Delivery、Recovery)ルームに移動するそうです。英語で質問漬けにされ1時間、あまりの痛みに英語が理解できず(元々英語はそんなにわかっていないけど(笑))、すべて旦那に任せることに。自分が想像できる最大の痛みが10だとした場合、陣痛の痛みが4から6そして7へ、絞られるような重いような激しい痛みが下腹部へ走り、腰も鋭く太い針に強く刺され続けるような痛みを感じる。陣痛の波が来るたびに涙がこぼれる。旦那の手を握り「もう無理~」と叫び。毎回陣痛が来る少し前に子宮が大きく収縮するのを感じるので、その度にまた痛くなると人生に絶望を感じてしまう…本陣痛だと判断され子宮口も4センチ開いたことを確認。(無痛分娩の予定だったので)いつ麻酔医を呼ぶか聞かれ「今すぐ!!」と回答。
AM 1:30
ようやくLDRルームへ移動。お腹の張りや赤ちゃんの心拍を測る分娩監視装置NSTが身体につけられる。すぐに麻酔医が来てくれると思ったが、なかなか来ず、絶望を感じながら、深呼吸して必死に陣痛に耐える。お腹の張りを示す数値が200に達した時は頭がどうかなりそうでした(その時はその数値が痛みを表すものだと思っていました)。
AM 2:00
ようやく麻酔医が到着。やっと無痛分娩になる!麻酔装置を取り付ける間、旦那は一旦退室。麻酔をしてくれたのですが、全く効いてこない。陣痛の波が来る度に声を出して、泣きながら旦那の手を握る。
AM 2:15
徐々に麻酔が効いてきたが、痛みのレベルが7から5へ、それでもまだ声を上げてしまうレベル。無痛分娩ってこんなもんなのか…
AM 2:30
ようやく麻酔が効き、痛みを感じなくなる(旦那によると、麻酔を2ショット追加してもらったようです)。少し余裕が出てきたので、陣痛の合間に記念写真を撮影。
AM 3:00-5:00
先生らしき人が来て、子宮口が5センチ開いたことを確認してもらう。痛みを感じなくなったが、子宮が強く収縮するのは感じられる。「わー、これは相当強い陣痛に違いない」と思いながら、子宮口が10センチ開くの待つためにしばらく安静。時々看護婦さんが様子を見に来てくれます。
(続く)
出産レポート 1)
リンです (⌒▽⌒)
出産してあっという間に1週間が経ちました。出産レポートはちょっと長くなりそうなので3回に分けて書きます。今回はその第1回。
ハワイ時間6月3日
AM 5:00
微痛で目覚めました。下腹部が強く押されて、肛門に圧がかかり、うんちをしたい感覚。今までも胎動のたびに下腹部が強く押されるように感じることはありましたが、今回は胎動がなかったので、ひょっとして前駆陣痛なのでは?と思いました。それから何回か同じような微痛を感じましたが、そこまで強い痛みではないこと、痛みが増していってはいないことから、本陣痛ではないと判断。
AM 7:00
パンツが少し濡れていることに気づき、トイレで匂い等を確認。尿漏れ?おりもの?破水?どれなのかよく分からなかったので、とりあえずナプキンを当てて様子を見ることに。しばらくして再度チェックしたら茶色いおりものがあったので、これはおしるしだと判断。でもおしるしが必ずしもすぐ出産に繋がる訳ではないので、待ちます。
PM 2:00
お昼寝中に陣痛が30分間隔で2回来て、痛みも地味に強くなり、痛む時間も長くなっていることから、これは本陣痛では?と思いましたが、起きてからは陣痛の間隔が2時間あいたり不規則だったことからやはり前駆陣痛だと判断。陣痛は副交感神経が優位に働く状態で起きやすいと言われているのでこれは今夜中に本陣痛が来るのでは…と思いながら、辛抱強く待ちます。
PM 7:00
夕飯を食べた後で、友達へのお土産探し兼散歩にワイキキの街に出ました。散歩中に30分間隔だったり、50分間隔だったりで、ちょこちょこ陣痛が来ていました。我慢できないほどの痛みではなかったですが、ぼちぼち辛く感じてきました。
(続く)
アラモアナで灯籠流し
リンの夫です。
2017年は5/29がmemorial day(戦没者を追悼する日)でアメリカでは祭日です。そのmemorial dayに合わせて毎年アラモアナで開催されているイベントLantern Floating(灯籠流し)に行ってきました。
当日朝の10時から先着順で7,000個、会場近くのテントで灯籠を無料配布するということで、ハワイの人たちはそんなに並ばないだろうとタカをくくって10時過ぎに行ったのですが既に長蛇の列。日当たりの良い公園で列をなして一時間ほど待ち、ようやく灯籠をゲットしました。
イベント自体は18時半からということで18時ごろ行ったのですがこれまたビーチには大勢の人が。嘘か誠か5万人集まるイベントとのこと。見渡すと皆BBQやスナックなど食べ物の準備万端。テントが沢山あったので日本のお祭り的なイメージで食べ物を買える出店があるかと思ったのですが、そこにあるテントはスタッフの待機場所などで出店は全く無かったです。
やがてイベントが始まりました。ステージで和太鼓パフォーマンスやフラダンスの出し物があり、日本の真如苑という仏教団体(?)主催ということでそこの偉い人らしきお婆ちゃんのスピーチがあり、そして灯籠を海に流しました。砂浜からザブザブ海に入っていって膝〜腰くらいの深さの所から流すので、濡れてもいい格好必須です。
和太鼓パフォーマンスがやたら格好良かったり、モニターの映像や音楽とお坊さんたちの登場が合わせて演出されていたり、腰まで海に浸かって眺める夕闇の中を灯籠が流れていく光景はかなり感動的だったり、イベント全体がショーとしてしっかり作られていました。ただアメリカの人々の大半はキリスト教だろうに多分にエスニックで宗教的なこのイベントに参加するというのはどういう心境なんだろうと不思議な感じがしました。